「それ、癖なんですか?」
いつの間にかフォルテールの音は止み、リセルシアがこちらを見ていた。そのことに驚
きもしたが、その質問の内容にも少し驚いていた。
「……なにが?」
「その……胸のペンダントを……その、触るのって」
リセルシアは、一向に歌わない私に疑問を抱いていたとしても、それを全く表には出さ
ずに、関係ないことを言い出した。
視線を胸に下ろすと、私の手は、確かにそのペンダントに触れていた。あまりにも古い
物だったために、その表面は手垢で汚れ、表面のおうとつもすり減ってほとんどなくなっ
ているような状態だった。
「……そうかもね」
意識したことはなかったが、手のひらに残る感触はあまりにも身近すぎた。まるで空気
の存在を忘れてしまっていることを再確認するように、改めてそのペンダントに触れてみる。
このペンダントのことに触れられたのは、これで二回目だった。最初は、アーシノ・ア
ルティエーレだったか。
『その薄汚れた翼は、でも、君に似合っていて美しい』
彼の心は、その言葉ほどには美しくはなかった。ただその言葉のみを紡いで生きていく
のなら、それなりに利用する価値もあったのだが、所詮は貴族の子どもに違いなかった。
才能のないフォルテールなどやめて、自分でもなりたいと言っていた詩人にでもなれば
良かったものを。それだけの決心もないような人間には、興味はない。
「今日は、本当にお疲れさまでした」
「……どうしたの? 急に」
「その……すごく辛そうだったから」
それはある意味正しくはあったが、リセルシアは、私の真意も知らずにそう言った。
「……それで?」
「私……あなたのお役に立ちたいんです」
さっき感じた、フォルテールの音がリセルシアの本当の実力なら、利用する価値は充分
にあった。あの貴族が義理とはいえ父親だという事実も見過ごせない。かつては……孤
立させ、私に依存させることによって手に入れようとしたこともあった。
クリス・ヴェルティンさえ現れなかったら、きっといずれはこんな展開になっていただ
ろう。彼を手に入れられなかったことは今でも惜しかったが、最初の計画に立ち戻るのも
悪くない。
「……リセ」
「は、はい」
「さっき、このペンダントのこと、聞いたわよね?」
「……え、ええ」
「このペンダントは、私の大事な物なの」
リセルシアは、黙って頷いた。その程度の予想はついていたらしい。
「私がこの孤児院の前に捨てられた時、唯一身につけていた物。私が最初からもってい
た、唯一のもの」
私は、リセにその重要性を充分に理解できる時間を与え、それからそっとそのペンダン
トを胸から外した。皮の紐をほどき、二枚ある羽根の一枚を手のひらの上に滑らせた。
「なにか……紐のようなものはある?」
「ひも、ですか? えっと……」
リセは探るようにポケットの中に何度か手を入れたが、目的のものを見つけることはで
きなかったようだ。だから私は、彼女にもわかるように、そっと視線を彼女の髪へと向け
た。リセルシアはすぐにそれに気づき、髪を結んでいる細いリボンを急いで外して私に差
し出す。それを厳かに受け取り、その紐に、茶色になった銀の羽根を通した。
「これを……あなたにあげる」
「……ファルさん」
リセルシアは、ロウソクの淡い光でもわかるくらいに紅潮して、私の瞳をまっすぐに見
つめた。
私がそっと彼女の首に手を伸ばすと、リセは目を閉じて、わずかに私の方に首を差し出
した。そして――呟いた。
「私は……ずっとあなたに憧れていました。あなたのようになりたいって。私が……本当
になりたかった、理想の人だって」
――一瞬、本気で殺そうかとも思った。
私のようになりたかった? フォルテールの才能をもち、貴族に拾われ、裕福な生活を
送っている、この貴族の娘が、それを言う資格があるとでも思っているのか?
モデストの、この孤児院で三日も暮らせば、そんな幻想もすぐにうち砕かれるだろう。
その瞬間、私の服を引っ張った、あの愚かな子どもの顔が頭に思い浮かんだ。なぜ、あ
のみすぼらしい子どもは、あんな風にして笑えるんだろう? 夢も、希望もなく、あるの
は日々の労働と、決して腹を満たしてはくれないわずかな食事。帰ってくる場所は、この
薄汚れたベッドの上しかないのに。
「……ファルさん?」
目の前のリセルシアが、目を開けて私を見ていた。首にかけられた私の両手は、そのリ
セルシアの細い首を、いつでも締められる場所にあった。この手に思い切り力を入れれ
ば、いとも簡単にその命を奪うことができるだろう。
でも私は、そんなことをするような、愚かな人間ではない。
「……なんでもない。こういうの、あんまり慣れてないから。それに、細くて、綺麗な首ね」
「そ……そうですか?」
リセは、頬を赤く染めてはにかんだ。なんの苦労も知らず、幸せに育ってきた証拠の、
無垢な笑みを浮かべながら。それに比べ、私は、なんて薄汚れているんだろうか。
後悔はしていない。もしそんな時が来るのなら、私は、今まで私が利用してきた全ての
人間、裏切ってきた人間に、謝罪をしなければならなくなる。そんなのはごめんだ。
「これをあなたにあげる。大切にしてね」
「は……はい!」
リセは、まるで私のように、その胸のペンダントをぎゅっと握って、何度も頷いた。
「今日はもう寝ましょう。疲れたでしょう?」
わざと、さっきのリセの言葉に対する明確な答えを出さずに、私はそう言った。
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